映画『国宝』を観たあと、どうしても続きが気になって原作小説を読みました。
正直に言うと、最初は「映画で描かれなかった部分を補完できればいいな」くらいの気持ちでした。しかし読み終えた今では、小説『国宝』は単なる映画の原作ではなく、それ単体で読む価値のある傑作だと感じています。
映画版も素晴らしい作品でしたが、小説版を読むことで見えてくる人物像や感情があります。
そして何より、映画では語られない「空白の時間」が描かれることで、登場人物への印象が大きく変わりました。
今回は映画を先に観てから原作小説を読んだ立場で、小説『国宝』の魅力について語っていきたいと思います。
※本記事は映画版・小説版双方の内容に触れています。
小説『国宝』は映画の補完ではなく、もう一つの『国宝』
映画版『国宝』は約3時間という上映時間の中で、主人公・喜久雄の人生を中心に物語が描かれています。
一方で原作小説は上下巻合わせて800ページを超える超大作です。
当然ながら映画では描き切れない部分も数多くあります。
しかし実際に読んでみて感じたのは、小説版は単なる補完作品ではないということでした。
映画では描かれなかった登場人物たちの人生。
語られなかった感情。
そして物語の合間に存在する空白の時間。
そうしたものが丁寧に描かれていることで、『国宝』という作品そのものの見え方が変わります。
映画では語られない俊介の空白の時間が衝撃だった
小説を読んで最も衝撃を受けたのは俊介でした。
映画版の俊介も十分に魅力的な人物です。
しかし映画ではどうしても喜久雄が物語の中心になるため、俊介については描写が限られています。
小説版ではその空白の時間がしっかり描かれています。
そしてそれが想像以上に重い。
読みながら何度も
「えっ……」
と声が漏れました。
映画版でも俊介は苦悩を抱えた人物として描かれていますが、小説版ではさらに過酷な運命が待っています。
歌舞伎の世界に生まれたからこその苦しみ。
才能と血筋の問題。
喜久雄との関係。
映画では見えてこなかった俊介の人生を知ることで、彼という人物への見方が大きく変わりました。
映画を観て俊介が気になった方は、小説版を読む価値があると思います。
個人的には最も印象が変わった人物の一人でした。
春江への印象は映画と小説で大きく変わった
私が小説版を読んで特に考えさせられたのが春江です。
映画だけを観た時の私は、正直に言うと春江の行動に対して「許せない」という感情が先にありました。
実際、他の方のレビューを読んでいると、
「春江の行動は巡り巡って喜久雄を日本一の歌舞伎役者にするためだった」
という意見も見かけます。
もちろんそういう解釈もできると思います。
ただ、個人的には少し違った印象を受けました。
私には春江と喜久雄は共依存に近い関係に見えました。
二人はお互いを支えにして生きてきた存在です。
しかし物語が進むにつれ、喜久雄は芸の道へとすべてを捧げていきます。
歌舞伎が人生の中心になり、それ以外のものを削ぎ落としていく。
その過程で春江という存在が、喜久雄にとって少しずつ必要ではなくなっていったように見えました。
一方の春江は、冒頭から非常に喜久雄中心に生きている印象があります。
自分の人生というよりも、喜久雄の人生を支えることが自分の役割になっている。
だからこそ、喜久雄から必要とされなくなったことがきっかけで、自我が芽生えたのではないか。
私はそんな印象を受けました。
興味深いのは、喜久雄自身が春江の行動に対してあまり憤っているようには見えないことです。
だからこそ私は単純な裏切りとは感じませんでした。
このあたりの解釈は読者によって大きく分かれそうです。
映画版と小説版では結末の印象も違う
個人的に感じたのは、映画版と小説版では結末の印象も少し違うということです。
もちろん物語の大筋は同じです。
しかし映画版はより美しく昇華された終わり方に感じました。
一方で小説版は、そこに至るまでの過程や感情がより濃密に描かれているため、受ける印象も変わってきます。
ただ不思議なことに、私はどちらもハッピーエンドだと感じました。
もちろん登場人物たちは多くのものを失います。
苦しみもあります。
それでも最後には、それぞれが自分の人生を生き切ったように感じられました。
皆さんはどのように感じたでしょうか。
ぜひ他の方の感想も聞いてみたいところです。
徳ちゃんの存在感は小説版で圧倒的だった
映画を観た時から気になっていたのが徳ちゃんでした。
正直なところ、映画版ではかなり存在感が薄くなっています。
しかし小説を読んで納得しました。
なぜなら小説版の徳ちゃんはとにかく活躍するからです。
本当に重要な場面で何度も登場します。
物語を支える存在と言ってもいいほどです。
むしろ映画でそのまま描いてしまうと、喜久雄の物語ではなく徳ちゃんの物語になってしまう可能性すらあります。
映画版が喜久雄を軸に再構成されている以上、徳ちゃんのエピソードが大幅に整理されたのも納得でした。
映画を観たあとに
「徳ちゃんどうなったの?」
と思った方はぜひ小説を読んでみてください。
かなり印象が変わると思います。
育ての親・マツの物語もきちんと描かれている
もう一つ気になっていたのが育ての親であるマツです。
映画では冒頭以降ほとんど描かれません。
そのため、
「その後どうなったのだろう」
と気になっていました。
小説版ではこの部分もきちんと補完されています。
映画では省略された背景や人間関係が描かれることで、喜久雄という人物への理解もより深まりました。
映画で疑問に思っていた部分が解消され、個人的にはとてもすっきりしました。
幸子への印象も大きく変わった
小説版を読んで印象が変わった人物がもう一人います。
それが幸子です。
映画版だけだと、正直かなり嫌な人物という印象が強く残っていました。
しかし小説版では違います。
幸子はもっと喜久雄に寄り添っています。
また歌舞伎界の事情や将来についても真剣に考えています。
むしろ多くのものを背負いながら行動している人物でした。
小説を読むことで、彼女に対する見方はかなり変わりました。
万菊は映画でも小説でも最高だった
そして私が映画版からずっと好きだったのが万菊です。
小説版を読んでもその印象は変わりませんでした。
むしろさらに好感度が上がりました。
本当に要所要所でファインプレーを見せてくれます。
物語の中で果たしている役割も非常に大きいです。
映画でも小説でも万菊の存在感は圧倒的でした。
読み終えたあと、ますます好きになった登場人物でした。
800ページ超えでも一気読みだった

上下巻合わせて800ページ以上。
数字だけ見るとかなりのボリュームです。
私も読む前は少し身構えていました。
しかし実際には全く苦になりませんでした。
読み始めると続きが気になって仕方ありません。
私は読み切るまでに2日かかりましたが、ほぼ一気読みでした。
それくらい物語に引き込まれます。
まとめ|映画が好きなら小説『国宝』は必読
小説『国宝』は映画で描かれなかった部分を補完してくれるだけの作品ではありません。
映画では語られない空白の時間が描かれ、登場人物たちへの印象が大きく変わります。
特に俊介、春江、幸子の印象は私の中で大きく変化しました。
徳ちゃんやマツのエピソードも丁寧に描かれており、映画で感じた疑問の多くが解消されます。
そして万菊の魅力は小説でも健在でした。
映画『国宝』を観て感動した方。
登場人物たちのことをもっと知りたいと思った方。
物語の余韻に浸り続けたい方。
そんな方には原作小説を心からおすすめします。
私自身、映画を観た後に小説を読んだからこそ、『国宝』という作品をより深く理解できたと感じています。
あの世界にもう一度浸りたい方は、ぜひ上下巻を手に取ってみてください。きっと読み終えた頃には、映画を観た時とは少し違った景色が見えているはずです。



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