ギリシア世界のまとめ ギリシア行く前に知っておきたい歴史

世界史

はじめに

もともとギリシア人といわれる人たちが生活を始める前にエーゲ海にエーゲ文明が起こったことがギリシアのはじまりといえるでしょう

エーゲ文明は思にエーゲ海の交易を中心に発展していきます。

ギリシアの歴史はエーゲ海からスタート

エーゲ文明

エーゲ海に面している文明とひとことにいわれても多数存在しますそのなかでも注目すべき文明を以下で紹介します

クレタ文明

エーゲ海のクレタ島という島がエーゲ文明のなかで最古の文明といえる

クノッソスという宮殿遺跡をイギリス人のエヴァンズが発見しました。

クレタ文明は平和的文明といわれるのですが理由があります

クノッソス宮殿には城壁がなかったのです。城壁がないということは攻め込んでくる敵がいなかったということになります。

城壁がないことから平和的文明であったといわれるのです

ミケーネ文明

小王国であるミケーネ・ティリンス・ピュロスなどに巨石でできた城壁王宮でした

また巨大な城壁があったことからクレタ文明と異なる戦闘的な文明であったことが予想できる

ドイツ人のシュリーマンによってミケーネ文明は発見されました

ちなみにシュリーマンはトロヤを見つけたひとでもあります

ギリシア人の侵入

ここでギリシア世界にはじめてギリシア人が侵入してくるのです。

一言にギリシア人といっても複数の種類の民族がいたのです

ドーリア人、イオニア人、アイオリス人というように複数存在しました

とくに注目するのがドーリア人です

ドーリア人は鉄器をもってギリシア世界にやってきました

鉄器を持ってきたドーリア人が侵入してきたことでがミケーネ文明の崩壊した要因では?といまでは考えられています。

ギリシア人たちに侵略された期間の400年間は資料が乏しくなっている暗黒時代といわれています

ギリシアは土地的には山が多い地形で海や平野が少ないおまけに降水量が少ないので穀物は育ちにくい環境でした。

そのかわり果物やオリーブを育てるのには適した環境でした。

ギリシア人の生活

シノイキスモスという集住で生活をし都市をたてました

アクロポリス「丘」

街の中心部に神殿をつくり市民の信仰の中心てきに場所のことをアクロポリスと呼びます

アクロポリスはほかにも

アゴラと呼ばれる公共広場がありましたギリシア人が主に生活をしていた場所がこのアグラです

ギリシア人の仲間意識

ヘレネスとギリシア人は自分のことを称してそのほかの他民族のことバルバロイと揶揄していた

デルフォイの信託

オリンピアの祭典

四年に一度行われる。オリンピアの祭典は戦争中でも戦争を中断して行われた

アテネにおける政治

貴族政治

有力者のことをここでは貴族といいます

ギリシアで最初に政治をはじめたのは貴族たちでした

その後ギリシアは商業交易を主に発展していきます

商業が発展することによって裕福な市民が生まれます裕福になった彼らがなにを行うのかというと重装歩兵部隊を構成することになります

ファランクスというみんなでまとまって国防に戦い方をあみだします

アテネに現れた4人

ドラコンの改革

従来の慣習法に基づき文章にしてポリスの秩序の安定化に努めました

ソロンの改革

財産政治の実施をおこないました

所有している財産に応じて等級をきめ、参政権と兵役義務を定めました。

また債務奴隷すなわち借金を払えなくて奴隷になった人を解放したのが彼です。

ペイシストラトスの改革 

独裁者ではあったが平民の指示を得ていました

非合法の政権を掌握

亡命貴族の土地、財産を貧しい人に分け与えていました

また中小農民の保護と育成を行ったのがペイシストラソスだからです

クレイステネスの改革

クレイステネスのときに民主政治の基礎が出来上がったといわれている

民主政治の基礎とは何ぞや?というと

デーモスといわれるを設置することでした。

自分の住んでいる土地のごとに行政単位をきめた言うことです

オストラキスモスの制度がつくられました

オストラキスモスとはどのような制度であるかというと

オストラコンと呼ばれる陶器のかけらに独裁者になりそうなやつの名前を書かれた人は排除するという制度でした

陶器のかけらに独裁者となりうる存在を排除する

オストラキスモスといって市民投票のはじまりといわれています

ギリシアでは例外的な街スパルタ

スパスタは穀物自給が可能であったことが他とは違うスパスタならではの諸制度が生まれました

閉鎖的、鎖国的だってスパルタ内で自給自足の生活ができるわけ尚で交易は不要ということ

そのため紙幣もなかったそうです

人口構成

ドーリア人の子孫たちが周辺の街を服属させることからスパルタははじまりました

完全市民といわれるスパルティアタイ

ペリオイコイといわれる商工業に携わる

ヘイロータイ

リュクルゴス(伝説的な立法者)

完全市民の優位を保持するための軍事的・閉鎖的諸制度を作り上げたとわれています

なぜならスパルタの市民は戦いに負けなければ支配されることもない!たたかいにかてばいいのだ!といことでいつも鍛えていた

ペルシア

ペルシア戦争

イオニア植民市の反乱からはじまったこの戦争は50年ほど行われることになります

イオニア植民市は小アジアに位置する

マラトン戦い

ダレイオス1世率いるペルシアとアテネ

中小市民が重装歩兵部隊の一員として活躍

ちなみにこのマラトンの戦いがきっかけでマラソンという競技ができたといわれています。

マラトンの英語読みマラソンです

サラミスの海戦

プラタイヤの戦い

ペルシア軍を破った

デロス同盟の結成

ペルシアの再来を備える

艦船・兵員もしくは軍資金を提供する

同盟を通じて他のポリスを間接的に支配

ペリクレスの時代

民会といわれる最高決議機関では18歳以上の成人男性市民で構成されます。女性はだめ

だって武装して戦ったのは男性なので

直接民主政前4世紀以降、日当支給

奴隷制度に立脚戦争の責務奴隷

対立するポリス

実質ポアテネがギリシア世界の中心のポリスのようにふるまっていることに面白くないポリス

ペロポネソス戦争

アテネに対する対立がペロポネソス戦争です

アテネでは疫病が流行してしまいペリクレスの病死

デマゴーゴスという人たちが現れるちなみにデマゴーゴスが「デマ」の語源です

スパルタVSテーベ

フィリッポス2世

アケメネス朝はギリシア内乱を機にギリシアに

カイロネイヤの戦い

コリントス同盟を結成

しかしコリントス同盟にはスパルタははいいていませんコリントス同盟にスパスタが加入しないのはアケメネス朝が糸を引いていたといわれているのです

アレクサンドロス大王

フィリッポス2世の息子であるアレクサンドロス大王

イッソスの戦い

アルベラの戦い(紀元前331年)

東方遠征

各地にアレクサンドリアという名前の市を作ります

ペルシアの儀礼・慣習を導入

つまり征服したからといって文化までも制圧するわけではなく

コイネーの

融合する時代のことをヘレニズムと呼ぶ

アレクサンドロス大王の急死ディアドゴイと呼ばれた統計者たちがアレクサンドロスの死後戦いを行います。

アンティゴノス朝、プトレマイス朝、セレウコス朝の3つにわかれていまう

プトレマイオス朝

クレオパトラが最後の王

セレウコス朝

西アジアの大部分を所有

大きすぎた

アンティゴノス朝

この王朝は残念な

国は分かれてしまったけれど文化は

ギリシア文化

オリンポス十二神

文学

ホメロス『イリアス』『オデユッセイア』

トロイ戦争

ヘロドトス(前485から前452)『歴史』

トゥキディデス『歴史』

同じ歴史というのを書いたけれどトゥキディデスの書いた

彫刻

フェイディアスがアテネの女神像を作った

建築

建築物は年代が進むにつれて豪華になっていくのが特徴

パルテノン神殿現在もそんざいするギリシア建築

演劇

三大悲劇詩人

アイスキュロス「アガメムノン」

ソフォクレス『オイデ

喜劇詩人

アリストフォレス

自然科学

ギリシア人はもともと暇人という言い方だと語弊があるかもしれないけれど考える時間があったから

自然科学すなわちイオニア自然哲学ともいいます。イオニアは地名です

万物の根源は水であるとタレスは考えました。

ピタゴラス

根源は水

ヘラクレイトスは万物は流転するといいます

医学

ヒポクラテスは西洋医学の父といわれる人です

ソフィスト

ソフィストとは人の名前ではなく「話し方」を教える人を指す言葉です

代表的ソフィストとしてプロタゴラスがいます

プロタゴラス「人間は万物の尺度である」人によって物の見方はいろいろあるということ

つまり人それぞれの考え方を重視したのがプロタゴラスの考え方

哲学

ソクラテス(469から前399)

ソクラテスはソフィストの考え方を批判していました。理由は口ばかりで問題が解決することはない

ソクラテスは絶対的な真理をも求めました

プラトン

プラトンはソクラテスの弟子です

プラトンはイデア論を主張します

プラトンは理想と現実

今は目に見えているのは本来の姿を目指すすなわち現実から理想に近づけていこうとするのがプラトンの考え方

アリストテレス

アリストテレスはプラトンの弟子です

考え方

ヘレニズム文化

世界市民主義

世界市民主義すなわちコスモポリタニズム

ヘレニズム以前のギリシア人

ヘレニズム以降のギリシア人

世界には価値観の違う人、考え方の違う人の存在しすることを認識しました

ヘレニズム以降ギリシア人は他者との違い個というのを認識するようになります

ストア派創始者はゼノン

ちなみにストアとは柱のことを言います。創始者であるゼノンが柱のところにたって考えを述べていたことがこの呼び名に由来します

精神的な快楽を追求したのがエピクロス派

自然科学の発達

エジプトのアレクサンドリアにムセイオンができました

ムセイオンとは王立研究所ともいわれます

ムセイオンはミュージアムの語源になった言葉でも有名です

エラトステネスはムセイオンの

アリスタルコス地球の公転と自転を主張したのが彼です

アルキメデスの定理

彫刻

ギリシア彫刻は筋肉むきむきな彫刻が一般的でしたギリシア時代の彫刻に対してヘレニズム時代は

曲線美が強調されているのがヘレニズム時代の彫刻の特徴です

有名な彫刻として

ミロのヴィーナス

ラオコーン像

ラオコーンの彫刻はどのような場面を表している彫刻かとラオコーンはアテナ女神の怒りをかってしまいふたりの子供と一緒に蛇に襲われてしまっているシーンを表しています。

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