インドに行く前に知っておきたいインドの歴史

世界史

インドのはじまり謎多きインダス文明

ここで覚えて覚えておきたい言葉
インダス文明はモエンジョ=ダーロとハラッパ―遺跡

インダス文明はインダス川の流域に栄えた文明です

インドはガンジス河とインダス川の二つの大きな川があるのですが今回はインダス川の

ドラヴィダ系民族現在はインドの南側にすんでいるひとがおいのですがもともと彼らはインダス川州域で生活をしていました。

インダス文明の特徴は壮大な都市計画が行われていました。

でも大規模な建設には指導者が必要ですがこの文明は宮殿やお墓などが存在しないという不思議があるのです

インダス文字というものが当時使われいたのですがいまだに未解読・・・

そのためいまインダス文明はどんな文明であったことは遺跡をみてしか判断することができないのです

そのため謎多き文明といわれています

現存するインダス文明の遺跡はふたつ存在します

モエンジョ=ダーロ(インダス川下流の遺跡)

ハラッパ―遺跡(インダス川中流の遺跡)

ちなみになぜインダス文明が滅んでしまったかもいまはまだわかっていません

アーリア人の侵略

アーリア人がインドに鉄を持ち込んだといわれています。

ガイバル峠を侵入してパンジャーブ遺跡

ガンジス河川流域へ定着して生活をしていきました

ヴァルナ制

バラモン=司祭者

クシャトリヤ=戦士

ヴァイシャ=庶民

シュードラ=奴隷民

奴隷民にあたるシュードラが一番したではにのです

不可触民

ヴァルナに応じて職業も決定されていくようになりました

このことをジャーティといいます

ジャーティはインドのことばジャーティーを英語でいうとカーストとなります

職業と結びついた社会階層が出来上がったのです

アーリア人がつくったバラモン教ってどんな宗教?

覚えておきたい言葉
バラモン教の経典はヴェーダかつ最古のヴェーダはリグヴェーダ

バラモン教とはアーリア人が作り出した宗教のひとつです

バラモン教はどんな宗教かというと

カーストのなかのバラモンが執行する祭典が中心となったのがこのバラモン教です

ヴェーダというバラモン教の聖典があります

ヴェーダはひとつではなく複数存在するのですがその中で最も古いヴェーダが

リグヴェーダといわれる賛歌集です

アーリア人がつくった国々十六大国抗争

アーリア人がつくった国のことを十六大国というのですが

この十六の国々は日夜争いをしているわけです

十六個の国の中で有力だったのがマガダ国とコーサラ国でした

十六個の国々がたたっていたことによって人々の考え方が変わっていきました

そこで生まれたのがウパニシャッドです

ウパニシャッドとは古代インドの哲学を表執り行われるわけですが実際の戦いでは

バラモン教はバラモンによって

運営のはバラモン教の反省と批判から生まれました

輪廻転生現世の行為によって来世が決定されながら、生死を繰り返すことを言います

このタイミングでできたのが仏教です

仏教

創始者ゴータマ・ブッダ

カースト制の否定、慈悲のこころと人間の平等を説いたの仏教です

クシャトリヤだけでなくヴァイシャからも仏教は指示を受けていました

ジャイナ教

創始者ヴァルダマーナ

総称はマハ―ヴィーラです

禁欲・苦行・極端な不殺生主義

カースト制度の否定

主にヴァイシャの間で支持されます

クシャトリヤの活躍した作品二大叙事詩

覚えておきたい言葉

『マハ―バーラタ』『ラーマヤナ』

古代インドのサンスクリット語で書かれています

『マハーバーラタ』バーラタ族の戦争をかいています

『ラーマーヤナ』

ラーマ王子が奪われた愛妻を救出する英雄譚なのです。よくありきたりな王子様がお姫様を助けるというストーリーはこのラーマ―ヤナであるといわれています

インドを統一した4つの王朝

インドを最初に統一したのはマウリヤ朝

マウリヤ朝

創始者チャンドラグプタ王

都はパータリプトラ

チャンドラグプタ王がはじめてインド統一行いました

なぜなぜこのタイミングで統一する必要があったのかというとギリシア王国からアレクサンドロス大王が侵略してきたしことにチャンドラグプタ王がめっちゃ焦ったのが理由とされています

アレクサンドロス大王の大軍が攻めてきたときに追い返すことはできたのですがまた大軍が攻め込んできたときに対応するためにインド統一を目指したのです

マウリヤ朝最盛期アショーカ王

マウリヤ朝の全盛期にあたるのがアショーカ王ですこのアショーカ王が最大の領土を有していました。

ちなみにこのアショーカ王はスリランカに仏教すすめたりした王でもあります。

アショーカ王は仏教で広大な領土をおさめようといました。

ダルマに基づき政治を行いました

ストゥ―パ(石造)

仏典の結集すなわち仏教の教えをまとめました 

クシャーナ朝

都はプルシャプラ

クシャーナ朝は領土がちょっと不思議なところにあるのが特徴です

カニシカ王の時代にクシャーナ朝は最盛期だったのですが

マウリヤ朝同様に仏典の結集をしたりしてました

でもマウリヤ朝よりも変なところにあるのですがなぜ発展したのかいうとイラン方面と中国の中継地点に位置しました。すなわち交易の中継地点だったのです。

交易で栄えた王朝だったのです

東西の影響を受けたクシャーナ朝で生まれたのがガンダーラ美術でした。

ガンダーラ美術で仏像の制作が初めて行われるようになりました

グプタ朝

320頃から550頃

バーダリブトラに都がおかれ

チャンドラグプタ2世のときに最盛期

中国から法顕『仏国記』

『仏国記』の内容は当時のグプタ朝のことやチャンドラグプタ王についても記されている歴史的にも重要な書物といわれています

ヴァルダナ朝

ハルシャ王がつくりハルシャ王の時代で滅んでしまったすなわち一代だけの王朝です

玄奘行きも帰りも歩いて行ってきた『大唐西域記』

インドの分裂期

義浄『南海寄帰内法伝』

インドの古典文化

インドで生まれた独自の文化がこの時代から存在します

文学

サンスクリット語で書かれているからサンスクリット文学といいます

二大叙事詩

もうひとつ押さえておいてほしいのがインドのシェークスピアといわれているカーリダーサの作品『シャクンタラー』

仏教教学・美術

ナーランダ―僧院

仏教の教学の中心であり中国の玄奘もここで

グプタ様式

アジャンター石窟寺院

仏教

上座部仏教

出家して自身の解脱を目指すことを重視した宗教です

上座部仏教は小乗仏教という言われることもありますがこれは大乗仏教からみた揶揄的な言いかたなので上座部仏教という呼び名の方が適切です

マウリヤ朝時代に成立をしたのがこの上座部仏教でしたつまりアショーカ王の時代そしてスリランカに伝わったのがこの上座部仏教でした

この上座部仏教よりおくれて登場したのが大乗仏教でした

大乗仏教

菩薩信仰

自分だけではなく多くの人、すべての人々の救済するのがこの大乗仏教でした

大乗仏教の広がりの特徴

ヒンドウー教

バラモン教に各地の民間信仰が融合してできたのがこのヒンドゥー教です

『マヌ法典』各ヴァルナの権利や義務を

バクティ運動とはヒンドゥー教の神に絶対的な帰依をすることで解脱を目指すというものでした

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