2004年に公開された【ハウルの動く城】はジブリの歴代3位の興行収益196億円を記録している作品です。これは日本の映画歴代興行収益8位の記録です
【ハウルの動く城】の原作はイギリスのファンタジー作家のダイアナ・ウィン・ジョーンズの【ハウルの動く1魔法使いハウルと火の悪魔】です
この小説もとに宮崎駿監督がアニメーション映画にしたものがジブリ作品の【ハウルの動く城】です
ハウルの動く城は人気作品であるとともにジブリ作品の中でも多くの謎であふれているため解釈が難しい作品のひとつです
初見ですべてを理解するはまず無理ではないでしょうか・・・
ハウルの動く城の解釈が難しい理由の1つに映画版は終始ソフィーの視点だけで話が進んでいくためと言われています
作品を理解するには登場人物ひとりの主観だけで映画がすすんでいるのでただ映画何も考えずに見ているだけでは不十分です
自分自身で視点を動かして疑問に思ったことに着目していくと【ハウルの動く城】という作品はより面白くなります
ハウルの動く城はすごく論理的に作られているためみれば見るほど新しい発見がある作品あります
映画を繰り返しみることもおすすめですが考察にはハウルの動く城絵コンテを見ることもおすすめです
今回は映画の中だけでは語られない、謎や疑問の答えをなる手がかりや考察をいくつか紹介していきます
本記事の映画版、小説版のネタバレを含みます
必ずハウルの動く城を1度ご覧になってからお読みいただくことをおすすめします。
【ハウルの動く城】がもっと好きになる【謎の手がかりと考察】
ソフィーは何者?
映画では断言はされていないのですが実はソフィーは魔女です
ソフィーが魔女である事実はハウルの動く城の原作小説である「魔法使いハウルと火の悪魔」では語られています。
ソフィーは自身は自覚はないものの言霊の力をつかって命を与えることのできる魔女なのです。
そのためソフィーは魔法を使ってハウルとカルシファーのともに助けることができたわけです。
言葉ではソフィーは魔女であると言われていないのですが映画内でもソフィーが魔女であるとことを宮崎駿監督はきちんと表現しています
何で表現しているのかというとソフィーのシンボルマークでもある帽子についているリボンです
ソフィーは登場時から赤いリボンの帽子をかぶっています
けれどラストシーンはソフィーがかぶる帽子は黒いリボンの帽子に代わっていること気づきましたか?
宮崎駿監督はこの黒いリボンでソフィーも魔女であるということを表しています
なぜ黒いリボンが魔女の証なのですか?
疑問に思た方はぜひジブリ作品の魔女の宅急便をご覧ください
一人前の魔女は黒いリボンをつけているというシーンをみつけることができるはずです。
なぜソフィーはハウルの城に荒れ地から入れたのか?
ソフィーが魔力をもたない人間だったから入れたという答えは間違っています。
なぜなら先ほどはなしたとおりソフィーは魔女だからです。
それでは、なぜたくさんのまじないが施されているハウルの城になぜ魔女であるソフィーがはいることができたのでしょうか?
理由はカルシファーがハウルだと勘違いしたからです
カルシファーが勘違いしてしまった原因はカブがソフィーに渡した杖のです。
劇中でも意味ありげにアップで映った杖にはきちんと意味があります
カブが渡した杖は持ち手が【鳥】のような頭になっています
この杖がいわば通行書的な役割をになっているのではないでしょうか
ハウルは劇中で何度も【鳥】のような風貌になります
このことからハウルは鳥にゆかりのある魔法使いであると想像できます。
カルシファー的にはハウル=鳥っていう認識なんですかね?
ソフィーが若返ったり、老けたりする理由
ソフィーは荒れ地の魔女の呪いで老婆に変えられます
しかし、呪いにかかっているにも関わらずソフィーの見た目年齢が急に若返ったり再び老婆の姿に戻ったりとコロコロ変化します。
これにはきちんと理由があります
外見の変化はソフィーの精神に影響しているからです。
活発的に行動しているときや無意識のときはソフィーの外見は若々しくなり、消極的で自身が持てないときは老婆の姿に変化しています。
物語の最後にはソフィーは若い姿となりますが、呪いが解けたのかは終始語られることはありません。
外見年齢がコロコロ変化するソフィーの様子からもしかしたら荒れ地の魔女の呪いは物語のはじめの方ですんなりと解けていたのかもしれません。
呪いがいつ解けたのかを書かなかったのはあえて意図的なものだったのでしょう
老いというのは気持ちの持ちようであるということを表したかったからなのかもしれません
ハウルが恋多き青年である理由
この理由は以下の2つの説が考えられます
①ハウルは心臓を求めてさまよっているから
ハウルはカルシファーとの契約の際に自身の心臓をあげています
そんため、ハートすなわち心臓を求めて女性に近づき
女性たちが自分に夢中になったとたん冷めてしまうからこれは自分にはない心臓を求める代償行為なのでは?
という説
②ソフィーをさがし続けていたから
ハウルは幼少時代にカルシファーとの契約のタイミングでソフィーに出会っています
その時にソフィーから「未来で待っていて」と声をかけられこのとっからずっとソフィーを探していたのではないのでは?
という説です。
ハウルがずっとソフィーを探していたのであるならば
映画の冒頭で兵士に絡まれているソフィーに声をかけたハウルは「やー探したよ」という流れときれいに繋がっています
ソフィーの肩を抱いているハウルの指に着目するとハウルの指輪が輝いています。
ハウルの指輪が光るシーンにはじめて気づいたときめちゃくちゃ興奮しました
個人的には2つ目の説が素敵だと思っています
ハウルは何と戦っているの?
ハウルは自身のことをこわがりで、臆病者と言っていますが、それにも関わらず自分から飛行船を打ち落とすような行動をしたと思えば、シルクハットの怪物と戦ったり、サリマン先生の共闘することを嫌がっていたりします。
戦争という舞台でもいまいちハウルの立ち位置がわかりません。
ハウルは最終的にソフィーを守りたいという考えのもと行動するようになりますが、ソフィーを守りたい決意する以前は行き場のない怒りを発散しているようにみえます。
ハウルの怒りの根源にはハウルの叔父さんの存在があるのではないかと考えています。
映画内にハウルの叔父さんが直接登場するシーンはありませんがハウルの隠れ家はもともとハウルの叔父の所有物であったと説明されます。
しかし、いまは叔父さんはハウルのちかくにはいません
つまりすでに亡くなってしまっているのではないでしょうか?
この叔父さんが亡くなった理由は定かではありませんがサリマン先生の味方をして戦いたいと思うわけでもないのに積極的に敵軍の飛行船に攻撃を仕掛ける様子などを伺うとおじさんは戦争に巻き込まれて亡くなったという説が浮かびます
ハウルの行動原理はおじさんをなくした悲しみからの怒りなのではないか?
荒れ地の魔女が老ける理由
夜は美人な荒れ地魔女が階段をのぼったときにソフィーとは対照的に老けたように見えませんでしたか?
別人みたいになってましたよね(笑)
階段をのぼったことによって疲れたからなのかと最初私も思っていたのですがどうやら違うみたいです
荒れ地の魔女は弱点が光だからなんです
夜やカーテンで閉め切った籠の中では光が当たらないため魔力が増長し若々しい姿を保てる
逆に光が当たる環境では魔力が奪われてしまい若い姿を保っていられなくなってしまうのです
この考えだと個室での光の攻撃も納得です
光源に囲まれて光を浴びせられてい影がまったくなくなったから
逃げ場がないそのため魔力を奪われてしまったというかんじです
ちなみに荒れ地の魔女はジブリの【ハウルの動く城】では最後はかわいいおばあちゃんのようになっていますが原作版では最後までずーと悪役です。サリマン先生をもたおしちゃうほどの力を有しています。
戦争シーンは映画版にしかない
ハウルの動く城のクライマックスのひとつに戦争シーンがあります。
実は、このシーンは原作の小説には登場しません映画版オリジナルです。
原作と映画では違いがいくつかありますがこの戦争シーンの有無はとても大きいと感じました。
映画版に戦争シーンがあることについて鈴木プロデューサーは宮崎監督は「戦火の恋」をやりたかったと語っています
宮崎駿監督のハウルの動く城には戦争のモデルは第一次世界大戦がモデルになっているのではないかと思います。
理由はこのハウルの動く城の舞台設定が現在のフランスとドイツの境界エリアといわれていて劇中に出てくる兵隊の服装のカラーリングが第1次世界大戦時のフランス軍の軍服のカラーリングを彷彿させているからです
サリマン先生とハウルの関係
原作と立ち位置がだいぶ異なるキャラクターとしてサリマン先生がいます
原作ではサリマン先生は荒れ地の魔女に殺されてしまうのですがジブリ作品のサリマン先生は終始ラスボスのような安定感で登場しています
そんなとても強そうなサリマン先生なのに
魔法使いや魔女は自分のまじないで好きな外見になれるはずなのにサリマン先生は終始車いすに乗っていました。この姿にとても違和感を感じました
ラスボス的存在感のサリマン先生を車椅子に乗っている設定にしたのには何かしらの理由があるからなのではないか?
と思いました
もちろん劇中では明確にこの理由は語られていないわけですがサリマン先生が車椅子で過ごしている原因をつくったのがハウルだったらとてもおもしろいなと思いました。
サリマン先生が異様にハウルに執着をみせるのはハウルが強い力を味方につけたいという理由だけではなく、サリマン先生はハウルがそばにいることで完璧な自分になれると思っている暗喩なのかなとかってに思っています。
不完全な自分をハウルに似た小姓で補っているんだと思います
小姓の見た目を大人のハウルではなくあえて少年時代のハウルに似せているのはサリマン先生にとって理想のハウルが少年時代だったからなのではないしょうか?
犬のヒンは元人間だった
ヒンはただの犬ではなくサリマン先生のスパイ犬ですがこのヒンはもともとは人間だったという設定があります
このルーツはハウルの動く城の絵コン内にあります
宮崎駿監督がヒンのことを犬人間と書いている箇所があります
つまりヒンは人間であるため犬であるにも関わらず、犬とは思えない状況判断能力があるわけです
階段でソフィーに抱えられたときに犬であるにもかかわらず、人間のような重さという設定があります
ヒンは劇中の最後にサリマン先生と水晶で会話するシーンがあります。
その時サリマン先生はヒンのことを「この浮気者」とののしるのですが、
通常ならばここは裏切り者という表現を使った方がしっくりくると思います。
それにも関わらず浮気者という言葉をあえて使ったのはヒンは人間だったときにサリマン先生とって夫や彼氏など身近な存在だったのではないのでしょうか?
カブは隣国の王子でもあり魔法使い?
カブは隣国の王子であるというのは、作中でも紹介されています。
魔法によってカブ頭のカカシにされてしまったという設定でソフィーにキスされたことによって元の人間の姿に戻ります
カブが最後に登場するのはサリマン先生と犬のヒンが水晶ごしに帰国するのをソフィーやハウル達が見送る会話をしているシーンです
ここのシーンではカブは人間に戻っているはずなのに棒を飛ばしながらフィードアウトしていきます
カブは人間に戻っているはずなのに棒飛ばせるなんておかしいですよね?
でももしカブが魔法使いであるのならばこのシーンも納得できるはずです。
カブに呪いをかけたのは誰なのでしょうか?
サリマン先生だと思います
カブはハウルに味方になってもらおうと隣国からハウルを勧誘にきたのではないでしょうか?
ハウルを味方につけたいと思っているのはサリマン先生も同じです。そのためサリマン先生から妨害を受けてカカシにされてしまったのではないかと思います
カブが荒れ地にいたことや鳥の杖をもっていたこととも辻褄があいますね
尽きることのないハウルの動く城の魅力
ハウルの動く城はいままで何度も見てきましたが実はまだまだ考察したいこと謎はたくさんあります
地上波で放送されるたびに新しい解釈や考察を発信する方もいらっしゃいます
もちろん、すべての考察や解釈が正解ではないのかもしれませんが、ハウルの動く城という作品が好きな方と一緒に討論するのもとても楽しいです。
考えを重ねることでより作品の濃度が増していくように感じます
ハウルの動く城のすべての魅力をまだ理解できていないからこそ魅力を感じる作品だと思います
今後も考察を続けていきたいです
新しい発見があったらぜひ教えてくださいね
【ジブリの教科書シリーズ ハウルの動く城】考察関連書籍を以下でまとめています
気になる方はぜひお手に取ってみてください。
ハウルの動く城の考察におすすめの1冊です
【星をかった日】
ノナとニーニャは少年のころのハウルと若き日の荒れ地の魔女というサイドストーリー的ニュアンスの作品と囁かれています
ちなみにノナが育てた星がカルシファーという解釈になります
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