ローマのはじまり
都市国家になったのは紀元前8世紀のこと
ローマを建国したのは
ラテン人といわれる人々、ティベル川のほとりに都市国家をつくったのがローマのはじまりといわれています。
でも建国してすぐにエトルリア人の支配下になってしまったのでした。
ローマの建国伝説
ローマ建国にはある伝説があります。トロヤ戦争の英雄アエネイアスの末裔であるロムルスとレムスの双生児が生後間もない間にテヴェレ川に捨てられた。
二人はオオカミに育てられて成長をしのちにローマを建国したといわれています。
ローマの政治
長らくローマの人ロビーたちはエトルリア人に支配されていたわけなのだけど
そのエトルリア人を追い出して一番最初にローマで政治の権力を握ったのはパトリキすなわち貴族たちだったのです。
ここで覚えたい言葉 元老院・コンスル・ディクタトル
貴族政治(紀元前6世紀)
・当時のローマの最高機関を元老院といいます
・最高執務官にあたるコンスルは元老院にあたる司会者のことです
それとは他に国の緊急事態のときに動くのが
・ディクタトル(独裁官)といわれる役職があります
民会(全男性市民)というものが行われているわけだけど結局は元老院がすべての決定権をもっているためへ平民たちは
平民であるプレブスが不満を持つようになります。
平民たち戦争のときは重装歩兵部隊をつくっているわけなので命をかけて国をまもっているわけなのでそりゃ~不満に思うのも当たり前
この平民たちの権利を守る機関が出来上がる
平民たちの権利
- 護民官
- 平民会
このように次第に平民たちも政治に加入していくようになる
3つの重要な法律ができる
- 十二憲法
- リキシウス・セクティウス法
- ホルテンシウス法
十二憲法
旧来の慣習法を成文化したのがこの法律
慣習法というのは昔からの言い伝え的教えのこと
リキ二ウス・セクティウス法
コンスルのひとりを必ず平民から選出すること 大土地所有の制限を行うこと
大土地所有の制限により平民たちが土地を奪われることを防いだ
ホルテンティウス法
ホルテンティウスも人の名前この人は平民からコンスルとなり緊急時にディクタトルになったことによって
イタリア半島の統一
紀元前272年にイタリアを統一することに成功しました。
統一の際におこなったこと
軍道の整備
道をしっかりしていれば馬車ですぐに行くことができる
そのため交通の整備した

現代もこの道の一部が残っています
分割統治
イタリア半島内の都市を植民市・自治市・同盟市と区分されるようになる
このなかで一番ひどい扱いを受けたのが同盟市です。
なぜこのように征服した地域に格差を設けたのかというと理由があります。
各市ごと格差をもうけることによって反ローマとして団結しにくくするという目的があります。
広がる征服~ポエニ戦争
≪覚えてほしい単語≫ ポエニ戦争・カルタゴの名将ハンニバル
紀元前264年から紀元前146年統一を果たしたイタリアはとカルタゴ戦争を起こすようになります。
これがポエニ戦争はフェニキア人の都市であるカルタゴとの戦いです。
第1回ローマはシチリア島を獲得する
シチリアはローマにとってはじめての属州です
第2回カルタゴの名将ハンニバルの登場
ハンニバルがなぜイタリアを出し抜くことができたのかというとアルプスの山を越えるという普通では思いつかない奇策でローマを攻め込んだからなのです。
しかしローマも負けてられませんローマのスキピオがハンニバルを破ることに成功しました。
ローマの征服の仕方
ローマの征服
イタリア半島以外のローマの植民地のことを属州といいます。
騎士(エクイテス)という徴税請負人という役職をつくり属州に税の徴収を行わせた。
ローマに負けた人たちは奴隷となり労働力としました。
中小農民の没落
≪覚えてほしい≫ ラティフンディア
農民たちがなぜ没落してしまったのかというと戦争を自費で負担しているため長ければ長くかかるほどお金がかかるからお金がない、しかも戦争をしていたので畑をたがやしていないから畑は荒れてしまう
お金のないローマの農民たち属州から安価な穀物が流入するようになることで作物も売れなくなってしまう
中小農民は無産市民となってローマへパンと見世物をもとめてやってくるようになる農民たちが捨てた土地をどうしたのか?というとラティフンデイアという大土地所有制が起こります。
大土地経営を行うことによりますます中小農民はすたれ、お金持ちはどんどん稼ぐようになってしまう
派閥闘争
ローマが二極化してしまったことにより閥族派(お金持ち組)と平民派にわかれて闘争が行われるようになります
閥族派の代表はスラ
内乱の一世紀
紀元前2世紀から紀元前30年の間のことを内乱の一世紀といいます
グラックス兄弟の改革
この兄弟は市民たちの見方土地を失った市民である無産市民に土地を返してあげようという動き
同盟市戦争が発生する
イタリア半島内のこの鎮圧後イタリア半島の都市で
スパルタクスの反乱
スパルタスクの反乱は紀元前73年から紀元前71年剣闘士スパルタクスが起こした反乱
剣闘士は人々の見世物として命をかけてコロシアムでたたかわされていました。
第1回三頭政治
ポンペイウス・クラッスス・カエサルによる当時の力をもっていた3人が集まって事態を収めようとしました
- ポンペイウスはスラの後継者
- カエサルはガリアすなわちいまのフランスを遠征に出かけた有名人
- クラッススはすぐに戦死してしまい・・・・
三頭政治は早々に幕を閉じました。
カエサルの独裁
紀元前48年から紀元前44年終身ディクタトルに就任する
ローマはみんなで話し合いが伝統でした・・・なので
共和主義者のブルートゥスらによって暗殺されてしまう

ローマにおいて独裁はご法度であることがこのカエサルの暗殺からわかるんご!
第2回三頭政治
紀元前43年紀元前36年
アントニウス・レピドゥス・オクタウィアヌスによる二回目の三頭政治が行われるようにあなります。
レピドゥスは早めに失脚してしまうため・・・
また三頭政治は幕を閉じてしまいます
アクティウムの海戦
この戦争でオクタウィアヌスとアントニウスとクレオパトラの連合軍を打ち破ることに成功します
オクタウィアヌスによる政治
元首政(プリンキパトゥス)
プリンケプスを自称する
プリンケプスとはなんぞうや?市民の中のひとりってこと
五賢帝の時代
ネルヴァ帝
トラヤヌス帝→この人のときローマは最大の領土になる
アントニウス=ピウス
マルクス=アウレリウス=アントニウス帝→『自省録』をかいた
パクス=ロマーナ【ローマの平和】
アウグストゥスから五賢帝までの時代をパクスロマーナと呼びます。
ローマ風都市の建設
ロンドン・パリ・ウィーン
コロナトゥス(土地制度)
奴隷ではなくて小作人を利用した土地制度
三世紀の危機
3世紀にはローマにとって大ピンチの時代
理由としては軍人皇帝時代・外敵の侵入
対策として専制君主政(ドミナトゥス)
ディオクレティアヌス帝
コンスタンティヌス→ミラノ勅令を発布
テオドシウス帝→キリスト教を国教化
キリスト教はどういう宗教?
ローマの文化
文学
- ウェルギリウス『アエネイス』
- キケロ
- ホラティウス
- オウィディウス
歴史
- タキトゥス『ゲルマニア』
- ポリビウス
- カエサル
- リウィウス『ローマ史』
- プルタルコス『対比列伝』
自然科学
プトレマイオス
哲学(ストア派)
- マルクス・アウレリウス=アントニウス『自省録』
- セネカ『幸福論』
- エピクテトスはもともと奴隷
ローマ独自の文化から発祥したもの
ローマ法
最初小さな国であったときはよかったけれどさまざまな民族の風習に合う法律ができるようになる
土木・建築
ガール水道橋
浴場特にカラカラ帝の浴場が有名
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